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    <title>azkn blog</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Sat, 01 Jul 2006 14:38:24 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>デジカメ故障中/雲/電線のない鉄塔</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2006/07/01/428308</link>
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      <pubDate>Sat, 01 Jul 2006 14:35:56 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-07-01T14:38:24+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-07-01T14:36:26+09:00</dcterms:created>
      <description>デジカメは、オリンパスの日常生活用防水のちょっと前のモデルを使っている。&#13;&lt;br&gt;
自動開閉するレンズのフタが、結構大きめでボディーと同じ面にあり、つまりへこんでいない。そのためもあるだろうし、私の扱いが乱暴なせいもあるだろう、故障した。ついうっかり鍵と一緒にポケットに入れてしまい、それもちょっとの間だったのにフタが少しへこんで、しばらく開閉の調子が悪く、1、2ヶ月すると動作しなくなった。と、いうのが、買って半年くらいと、さらにそれから3ヶ月目と、その2回目の修理中だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
デジカメを買ってからは、ほとんど常に持ち歩き、目に映るおもしろいものをなんでも撮っていた。フィルム時代には考えられなかった多量の枚数がハードディスクに保存してある。見ることがどれだけあるかは疑問だが。フィルムによる写真に比べてデジカメの絵は感じが違うなどという説も&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
修理でカメラがなくなった頃に、微妙に身辺に変化があり、季節が変わり、カメラが手元にないことにそれほど違和感がないことに気づいた。しばらく雨が続いて歩いて外出するのもままならなかったし。3ヶ月前には、あれも、これも、写したいのに、と、思っていたのに。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのうち、「これは見物だ」と思われる風景をいくつか目にした。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ひとつは、2日間にわたっていたのだけれど、見事な夕景。&#13;&lt;br&gt;
今日も雲はおもしろいのだけれどまだ昼だし、天気が良すぎる。昨日と一昨日の夕焼け雲はあまり見たことのないようなものだった。高い雲の柔らかいハケで描いたようなグラデーションと、その下の低い雲との対比がパノラミックな立体感で迫る。濃い赤も鮮やかで、見事だった。あれも反射した光の色というべきなのか、よくわからないが、身近な物体に光があたって見える色とは違う。アニメーションでいえば透過光の特殊効果を使ったようなものだと、妙なたとえを思いついた。光の3原色と、絵の具の3原色の違い・・・。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
もうひとつは対照的に、小さな山の上の、単なる高圧電線の鉄塔の、古くてあまり大きくないものから、電線が外されてあるのを見たのだ。1週間ほど前に散歩して見つけたのを、今日は今年初めてなんとなく自転車で出かけたのだが、出かけてすぐ思い出し、見に行った。そういえばまだあるかなと。&#13;&lt;br&gt;
ほかのものよりも黒っぽい色なのは、錆びたためか、塗装のちがいのためか、どちらにしても一見して、すぐ近くにあるもう少し大きな鉄塔よりも古いということはわかり、電線が外されて、鉄塔が建つ山のふもとには作業車入口の小さな看板が立ち、取り壊されるまで日はなさそうだ。&#13;&lt;br&gt;
鉄塔は続いていて、たどってほかにもいくつか見つけたが、木々に隠れてよく見えない。自転車を降りて山を登るにも、あやしい人と思われそうだ。そういうわけもあってか、最初に見たものが、最も味わい深かった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その電線が外された鉄塔は平地にもあったが、帰りには近くを通ったというのに、「変電所の近くの赤いタンポポの群生」があるというのに気をとられて見るのを忘れた。&#13;&lt;br&gt;
これも、ほかのふたつほどではないがそこそこおもしろい。教えられなければタンポポだとはわからないが、町の新聞に出ていたのだ。花のすぐ下で枝分かれしていて、いくつもくっついて花をつけている。丈も高い。赤というよりはオレンジっぽいが、しかし、以前こちらのほうに住んでいた頃に見たような覚えもある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
カメラがなくて惜しかったような気もするが、カメラがなくて良かったような気もする。写真に写ったものは写ったものであり、実際に見たものは違う。カメラがあると、見方が変わってしまうようでもあり、何でも撮りたいとなればなおのことだろう。&#13;&lt;br&gt;
しかし、カメラが帰ってきたならまた何でも撮るだろう。&#13;&lt;br&gt;
あと、鉄塔は、なくなってしまったら、惜しいな。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
      <dc:subject>雑</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>モチーフ（改）</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2006/05/27/382286</link>
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      <pubDate>Sat, 27 May 2006 13:11:52 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-05-27T13:12:42+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-05-27T13:12:42+09:00</dcterms:created>
      <description>モチーフということばを、つかったことも、思い浮かんだことさえ、ほとんどなかった。美術を始めて20年以上になるのに。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
自分が抽象的な表現を志向しているからかもしれないと思ったが、わからない。&#13;&lt;br&gt;
抽象ということでは、山下裕二さんという人（美術評論家？応援団？）が具象にしか興味がないというようなことを書いてあるのを読んだときに、それがなにか正しいように思えたことがあった。&#13;&lt;br&gt;
その少し前からモチーフということばが以前より意味のある言葉に思えてきていた。日本画の千住博氏の新書版の本で、モチーフについて書かれているのを読んでからだ。モチーフというのは静物の絵を描く時に並べるときにだけつかう言葉ではない、と、いう、当たり前のことに気付いたのだが。&#13;&lt;br&gt;
山下氏はある種抽象的な表現をも、優れているものは具象として興味を持つというようなことを書いていたような気がする。モチーフってなんだ。なにかを対象化するときの対象なのか？そういうモチーフがあれば、具象？&#13;&lt;br&gt;
具象か抽象かということではよくわからないが、「対象を持たない」絵画なり美術なり表現なりの芸術運動かなにかがあったような気がした。もしそういうことがあるならそれにはモチーフがないということになるのだろうか。わからない。&#13;&lt;br&gt;
などと書きながら、具象を志向するようになろうと思うわけでもなく、モチーフという言葉を重視するようになったわけでもない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ふと、音楽でもモチーフということがあると気付いた。美術とは随分違うようでもある。&#13;&lt;br&gt;
音楽のモチーフは「動機」だったっけ。&#13;&lt;br&gt;
千住さんの弟は作曲家だな、などと、ふと、思ったが、それは関係がない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>芸術</dc:subject>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>彫刻をつくる8</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2006/03/13/288260</link>
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      <pubDate>Mon, 13 Mar 2006 17:43:04 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-03-13T17:59:10+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-03-13T17:43:21+09:00</dcterms:created>
      <description>2年ぶりかもしれないほどに忙しい中、といっても、普通の人が一日8時間働くのと変わらないのだが、喫茶店での個展に向けて制作している。&#13;&lt;br&gt;
それなのに、なぜかのんびり作っている。あと2週間ちょっとだ。大丈夫か。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
気持ちに余裕があるのは、制作の方向がいままでよりはっきりしていて、アイデアもまとまっているからだ。また、いままではひとつのアイデアでひとつの作品しか作らなかったが、今回はいくつか作っている。ひとつの作品だともの足りないけれど、似た傾向のものが並ぶと面白いかも知れないというようなアイデアだから、そうなった。そして、ものすごく小さい作品が多い。&#13;&lt;br&gt;
そういうわけで焦っていないが、作品展に向けて焦っていないのは初めてかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、いいこととは限らない。私は楽器を弾くのだけれど、先日はじめて、あまり焦らないでステージに出ることができた。というその表現は正確ではない。ステージに出た途端にあがってしまい、いままでで一番、「予想よりひどい」演奏になった気がした。実際はどうかわからないが。&#13;&lt;br&gt;
ということで、展示を始めた途端に顔が青くなる気がして心配だが、現段階では焦らないと言うことは大変幸せで、焦る気になれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なんのこっちゃ、といったところだが。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>彫刻</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>彫刻をつくる7</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/11/18/147118</link>
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      <pubDate>Fri, 18 Nov 2005 23:48:10 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-07-01T11:50:04+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-11-18T23:48:29+09:00</dcterms:created>
      <description>10/9に失敗したと思っていたものは、仕上げようとしてみると思ったよりはうまくいった。そのうち強度も出て来た。7/16には「土を樹脂で固めたもの」などと書いていたが、実は「とのこを木工用ボンドで固めたもの」だ。強度が出ないと思っていたのは、まだ完全に固まっていなかったのだ。速乾性のものを使ったのが悪かった。もしかしたら、表面近くが早く固まってしまい、そのために内部が乾燥しにくくなり、硬化が進まなかったのかもしれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
仕上げているうちに、これを作った時の石膏型がまだ使えることに気付き、それにセメントを流し込んでもうひとつ作って、並べたら面白いかなと思ってやってみた。石膏型をちゃんと水に浸しておくのを忘れたため、気泡が入ってしまった。大きい気泡はセメントを少量溶いて石膏の直づけのように埋めてみた。固まったら削って仕上げる予定だが、果たしてちゃんと馴染むものだろうか。&#13;&lt;br&gt;
もうひとつ問題は「とのこ」で作った方より大きいのだ。そういえば「とのこ」の方は収縮したのだ。その結果石膏型から容易に離形して型が生きていたのでもあったのだ。まあ、しょうがないので、それでも並べて展示しよう。枯れ木も山の・・・。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その間鉄材を使った作品への初挑戦も続けていたのだけれど、あまりにも違うタイプの作品に平行してとり組んでいたり、作業時間をセメント作品の作成に振り替えたりしたせいか、作品を作ってはいたものの、いくつかのパーツを組み合わせて床に直接置くつもりの、組み合わせのパーツが今ひとつ足りず、展示の仕方などがいまひとつ固まらないまま展示することになる。作品を検討するために切断しただけの、材料のままの鉄板などと組み合わせて、インスタレーション風に展示することにしようと思っている。展示として自立したものになるかどうかわからない。見に来る人に対して本当に失礼な感じになっていたら引き上げようか。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
明後日搬入・展示だ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>彫刻</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>葛藤があるのかな</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/10/27/121908</link>
      <guid>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/10/27/121908</guid>
      <pubDate>Thu, 27 Oct 2005 21:22:01 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-10-27T21:22:33+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-10-27T21:22:33+09:00</dcterms:created>
      <description>アイデアが幾つも浮かぶが、それらの方向性が矛盾しあい、なかなか作成を始められない原因になっているかも知れないと、考えた。&#13;&lt;br&gt;
ひとつはミニマル的な傾向。またはこんなモノも彫刻と言っていいかも知れない、というようなモノ。独自のアイデアではなく、いろいろな作家への共感からこういうことをしたい。が、気持ちではこういう方向性で行きたいが、作品として自立しないアイデアが多い気がする。&#13;&lt;br&gt;
もうひとつは彫刻的な傾向。形体が見るものにアピールする。具体的な何物かをモチーフにして形が生まれ、それがモチーフに近く写実的であったり、モチーフから離れ抽象的であったりするかも知れない。これは伝統的な彫刻かもしれない。完全な抽象形態もここに入ることは出来る。これはある種ルーティーンになってしまう気がする。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なんて、実はたぶん矛盾しないのだ。このふたつを兼ね備えて面白い物になるのだろう。しかしなかなかうまく行かないだけなのだろう。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
      <dc:subject>彫刻</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>蓄熱式床暖房/古新聞紙を使った断熱材</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/08/06/40904</link>
      <guid>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/08/06/40904</guid>
      <pubDate>Sat, 06 Aug 2005 15:51:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-08-06T15:53:27+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-08-06T15:52:22+09:00</dcterms:created>
      <description>深夜電力を使い、床下の土中に設置した電気ヒーターでその上下の土や、上の砂利等をあたため蓄熱し、穏やかな暖房を実現する方法があるらしい。&#13;&lt;br&gt;
また、古新聞紙を使った断熱材も紹介されていた。名前は忘れたが、遮音性も優れているという。私的には、あのグラスウールのチクチクした感じをイメージしなくていい・・・屋根裏に入った時にちょっとした恐怖だった・・・。&#13;&lt;br&gt;
「劇的ビフォー・アフター」の、さっきやっていた再放送より。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
土台工事に関しては、通気性を考えないで、木造建築の耐久性は大丈夫か、という疑問は残るが、私はそのあたりについてはあまり知らない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>建築</dc:subject>
      <dc:subject>生活</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>モチーフ</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/08/01/39145</link>
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      <pubDate>Mon, 01 Aug 2005 21:32:09 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-08-14T15:22:03+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-08-01T21:32:28+09:00</dcterms:created>
      <description>モチーフということばを、つかったことも、思い浮かんだことさえ、ほとんどない。美術を初めて20年になるのに。&#13;&lt;br&gt;
自分が抽象的な表現を志向しているからかもしれない。抽象ということでは、山下裕二氏という人（美術評論家？応援団？）が具象にしか興味がないというようなことを書いてあるのを最近ちらっと読んで、ああなんかそうかもしれないと思ったことがあったが。&#13;&lt;br&gt;
最近モチーフということばが少し意味のある言葉に思えたのは、日本画の千住博氏の新書版の本でモチーフについて書かれているのを読んでからだ。このひとはモチーフを重視しているようだ。&#13;&lt;br&gt;
山下氏はある種抽象的な表現をも、優れているものは具象として興味を持つというようなことを書いていたような気がする。モチーフってなんだ。なにかを対象化した、なにかなのか？そういうモチーフがあれば、具象？&#13;&lt;br&gt;
などと書きながら、具象を志向するようになろうと思うわけでもなく、モチーフという言葉を重視するようになったわけでもない。ただ、ふと、音楽でもモチーフということがあると、ふと気付いて、かえってなんだかわからなくなったが、なぜかすこし合点がいった。&#13;&lt;br&gt;
ただ、とりあえずそこまでで、今は、音楽のモチーフって、主題とかいっていたと思うけれど、それを確かめるつもりはない。が、音楽の「主題」って、美術のそれとはちがうよなとか、思うだけだ。・・・音楽の「モチーフ」って、「動機」だったっけ。&#13;&lt;br&gt;
千住さんの弟は作曲家だな、などと、ふと、思ったが、それは関係がない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>芸術</dc:subject>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>表現と作家の精神状態</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/08/01/39141</link>
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      <pubDate>Mon, 01 Aug 2005 21:19:52 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-08-01T21:20:09+09:00</dcterms:modified>
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      <description>ミュージシャンの大貫妙子さんのインタビューで、自分の精神状態が好ましくない時の作品が、自分でも好むわけではないのに、評判がいいというようなことを話しているのを読んだような覚えがある。もっと直接的に、自分が不幸な時、というような言い方だったかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私は作品を作って楽しいときのもののほうがいいものができると感じているので、それからすると、納得がいかなくても良いような気がするが、読んだ時には納得したような覚えがある。話題が個人的な問題に関係があるので、一般的に話すようなわけにはいかないが、私はもしかしたら大きな作家にはなれないかもしれないと思ったような記憶もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
作家も、作品に触れる人も、幸福な作品制作、創作活動というプロセスが、わたしにはどちらかというとふつうにイメージされるが、しかしこれ以上突っ込んでこの問題を追求できる自信はない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>芸術</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>紙の家</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/08/01/39140</link>
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      <pubDate>Mon, 01 Aug 2005 21:18:54 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-08-01T21:19:23+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-08-01T21:19:23+09:00</dcterms:created>
      <description>伴さんといったか、けっこう知られた建築家のひとが、たしか実用的な紙の建築を考えて実用化しているはずだ。ネットで調べればいいのだと、今思ったが調べていないが・・・。雑誌で多分見たことがある。仮設住宅か、難民のための家とかで考えられたはずだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そういうものではなく、日本のふつうの家を紙で作れないかと思う。耐久性は若干劣るかも知れないが、コストは安くならないか。柱や梁をちがう材質で作ってもいい。建て替えも楽で、基礎工事だけしっかりしておくとか。立て替えを前提とした家・・・。ハニカム構造の段ボールなどであれば強度が取れるとか、その程度の材料工学の進歩はあるはずだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただ、常識的なものから外れると、また量産される物でないと、うまくいかないことは多いかも知れない。量産となると、物としての問題の他に、既存産業とのかかわりは無視出来ないというようなこともあるかもしれない。立て替えということまで含めれば、常識、ライフサイクルへの意識なども意外に障壁かも知れない。&#13;&lt;br&gt;
いままであまりやるひとがいないのだから、よくないのだという理由に出会うかも知れない。もちろん現実に建築法の問題もあるかも知れない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>建築</dc:subject>
      <dc:subject>物質</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>テクニック</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/16/33397</link>
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      <pubDate>Sat, 16 Jul 2005 23:54:49 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-07-16T23:55:14+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-07-16T23:55:14+09:00</dcterms:created>
      <description>テクニックとはなんだろう。&#13;&lt;br&gt;
あまり意味があるものではない気もするが、これがないとものができない。&#13;&lt;br&gt;
絵についていえば絵がうまいとか、デッサン力があるとか、かなり決定的にテクニックは重要視されるのがまあ、ふつうだろう。普通に見たうまさとちょっと違ううまさがあったりするが、まあそれもうまさ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
うまいほうがいいかな。&#13;&lt;br&gt;
わたしはわたしのいた大学ではまあまあうまい方だった。絵もそこそこ描けた。私のいたのは美大というほどではなかったし。と、周囲と比較してどうのこうのと、考えるべきものでもないし、比べていたわけではなく、「こんなひとがいるなら自分はやめたほうがいい」とか思わずに済んだだけだ。なんだろう、それでいいことは、ちょっと安心できたかな、ということだろうか。&#13;&lt;br&gt;
あと、あまり意味があるものではない気もすると書いたのだが、私はうまい方が好きだ。自分を棚に上げて。ただ、たとえばバスキアをうまいと思わない人とは、この段落に関してはとりあえず話しにならない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
千住博という世界的に有名な日本画家は、内容とモチーフ、それに描画方法までがぴったり合うという体験を「千住博の美術の授業」シリーズ2冊「絵を描く悦び」「美は時を超える」（どちらも光文社新書）のどちらかか、両方で書いていた。ああ、なるほど、そういうこともあるのかもしれない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私には実はアイデアとテクニックはある。それらがすぐれたものではないかも知れないが、それなりに気に入っている。しかしそれで作品は出来るものか？私の作っているのは作品か？&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>芸術</dc:subject>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>彫刻をつくる5</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/16/33396</link>
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      <pubDate>Sat, 16 Jul 2005 23:53:59 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-07-16T23:54:23+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-07-16T23:54:23+09:00</dcterms:created>
      <description>昨日からは2日とちがって、実際に具体的な展覧会に向けて作っている。一個の作品としてある程度まとまった印象を持ってみてもらうつもりで作っている。最近よくやっている粘土で形を作って石膏で形を取り、セメントを流し込んだり、土を樹脂で固めたもので中を中空に作ったり、というような仕方になる。これは昨年の秋から始めたやり方だ。それ以前はしばらく型どりという工程は使っていなかった。・・・ときどきちょこちょことは使っていたかな。しかし部分的に工程に取り入れただけだった・・・。最近は石膏型を割ってそのあとはバリを取った程度でそのまま完成だ。&#13;&lt;br&gt;
いままでは粘土の段階で表面はできる範囲で整えていた。意識だけは工業用デザインのエスキスにちょっと近いような。今回は、粘土の表面をきれいに整えないで手やヘラの跡を残す。わざと。スケッチが元になっていて、そのスケッチは描線がポイントなのだ。スケッチの滑らかな線の再現はできない。その線で描かれたスケッチのエッセンスを、よりゴツゴツしたマチエルでも表せないかということになってきた。表面は人体をあらわした彫刻の、ある種のもののマチエルと、かわらない。全体は単なる抽象形態だが。&#13;&lt;br&gt;
と、いうだけで、見切り発車だ。方法の実験という要素が大きい。しかも、2日に試した方向性とまったく違う方向だ。工程はある意味ではここ数年で最も保守的になる。学生時代に戻ると言っていいほどだ。アイデアはちがう。新しいものだ。と、いってもまだ他のスケッチと関連がありそうないろいろなアイデアのなかに、ぽつんと違った景色のスケッチがあったというようなものだ。まとまりやすそうではある。面白さは、どうか。わからない。これを発表したいのか、していいものか。&#13;&lt;br&gt;
ちょっと、小さいし、もの足りない印象になるか・・・。まあ、もし入選しなかったらそれでいい・・・。入った方が困るか。搬入は一週間後だ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>彫刻</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>デザイン・建築の深い闇</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/06/29285</link>
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      <pubDate>Wed, 06 Jul 2005 20:43:14 +0900</pubDate>
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      <description>デザインということばを、ちょっと表層的ではなく使おうとした途端、足元はずぶずぶとぬかるみにはまり込む。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
私はかたちを考える面白さからデザインに興味を持ち始めた・・・デザインされたかたちの面白さが、もっと先か。だから一般的に使われている「デザインがいい」という言い方の時に、かたちの良さがまず忘れられることはないことは、都合がいい。&#13;&lt;br&gt;
ただ、かたちのよいだけのものには、「デザインがいい」などとは、私自身は決して使わないつもりではある・・・ほんとうか。ちょっと自信はないが。だから、もし格好がいいだけのものをデザインがいいと称揚するようなひとと話すことがもしあれば、「でも、実用的じゃないよね」などと少しは難癖をつけてやりたいと思ったが、幸か不幸か、そんな場面はなかったようだ。そんな知り合いは、思いあたらない。&#13;&lt;br&gt;
デザインするという言葉が、そのくらいには、かたちを美しくすることだけではないという感じは誰しも持っているかもしれない。ただ、かたちの美しさがやはり前面に出てしまいがちなことは否めない。そして、そのことにちょっとひっかかると、つい、美とはなにか、用の美とかなんとかしゃらくせえ、ああなにかくちはばったい、ということになる。&#13;&lt;br&gt;
また、デザインということを考える時には、単に日常的なスケールだけでものを考え得ない、と、そんな事が引っかかってくる。逆に、非日常的なスケールだけでもだめだ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際にはデザインということを考えるひと、仕事にしているひとの多くはデザインの要素のごく限られた一面についてのみ注目し、たとえばつかいやすいものの美しさについて語りはするものの、そのことでかなり多くのこと、デザインに関連することすべてをを語ったような気持ちになっているようなことになる。不便で醜い優れたデザインもあるはずだ。それは醜いが美しいと言った逆説的な言い方では美しくなってしまいはするものの。&#13;&lt;br&gt;
ひとつは、高価なものはそれだけでデザインとして劣っていると考えることができる場合がある。ある場合には流通過程、各流通過程での価格設定までをデザインしてようやく本質的なデザインの完了、と、いう事さえ可能だ。医薬品はいかに服用しやすい新技術等をもりこもうが、価格が高すぎるならデザインとして優れていることにはならないだろう。例えば、エイズ患者のための薬ほど、その意味でデザインの質の低いものはないともいえる。増え続けるエイズ患者が購入できる価格ではない。&#13;&lt;br&gt;
現在の職能分担ではデザイナーの仕事ではない要素にもデザインは関わっている。製品の特性に見合ったパッケージを考えることくらいが、デザイナー、呼び方としてはグラフィックデザイナーにまかせられるくらいだが、それは一面だ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
建築について考えるとき、そのような意味でのデザインの最後進分野ともいえる深大な闇を見つけることができる。&#13;&lt;br&gt;
いつからか、日本の住宅は高価で使いにくく、醜い。家を建てると言うことは、また、自然破壊に寄与することでもある。流通に関しても、選択する技術に関しても、自然との関わり方にしても、現代の科学水準からして不合理極まりないだろう。その程度もつい最近まで悪化し続けてきた一分野だったのではないか。なんらかの技術革新はそれが利益を増大させる場合にのみ採用され、安価で機能的なものは退けられてきたのではないかという懸念すらある。&#13;&lt;br&gt;
価格に関していえば、生活費の大きな割合を占めるほどに高価な住宅を手に入れるための労働というのは、はたして合理的な選択なのかという疑いがある。創造性を発揮しつづける仕事は楽しいだろう。それによって大きな利益を生み、高価な住宅に投資するのはいいだろう。実際には創造性を摩耗させる種の仕事が多い。おおくの仕事をそうでなくする試みが、ないわけではないが、それが成功しているとは思えない。そのような仕事をよりよく進めるために、実は爆発的ではないにしても、創造性が求められるのでははないか。そのための余暇を、生活の中に取り入れるに相応しい、日本の家だろうか。&#13;&lt;br&gt;
日本の家の価格にはどれほどの、そしてどのような種類の必然性があるのだろう。&#13;&lt;br&gt;
・・・乱暴な論だ。根拠は例示できない。曖昧な記憶から直感的に導き出した言葉だ。ただ、言い過ぎの部分はあるにしても、この手の不合理が放置され、あるいは困難な問題として近づきがたいこととされていることは事実ではないかと思う。建築家は、このような問題に近づく時に闇を見るのではないか。この闇を正面から見ることは世間をひっくり返すような天才でなければ無駄なことかもしれない。それを少なくとも横目に見つつ、優れた仕事をしている人もいるだろう。&#13;&lt;br&gt;
ただ、変な話しだが、これらは日本に顕著な話しだと思う。政治と、文化的な問題が関わってくる。「産業界」とやらのことをとりあえず忘れたいが、そうしては話が進まないかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
と、美術家であろうとする人間が考えることにどれ程の意味があるのか知らないが。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>建築</dc:subject>
      <dc:subject>デザイン</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>芸術と才能2</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/06/29235</link>
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      <pubDate>Wed, 06 Jul 2005 16:07:20 +0900</pubDate>
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      <description>才能などと言うものは、たとえば、あったとして、それを誇示するかのように使われた場合には、作られた作品の魅力を損なうことになる。そのように才能に引きずられないのも才能・・・か？&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「ろくな才能もないのに、恥ずかしげもなく人前に作品を」というようなことは、一瞬ありそうな気がするが、いやな感じがする。いやなだけではなく、言葉としても間違っているだろう。例えばデッサン力に乏しいひとが面白い作品をつくれないことはない。自分の能力を量り見極め、何ができるかを考え抜いて何かを作ったのであれば、きっと面白いものになるに違いない。恥ずかしいのはたとえば自分が特権的だと勘違いしているようなことだ。人前で見せるということで何が起こるか量ろうともしていないことだ。&#13;&lt;br&gt;
おや、私こそ危ないぞ。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
才能に意味があるとすれば「絵がうまい」とかいうことではなく生き方のようなことに関する才能かも知れないと思うが、それなら才能がどうのこうのという話しではないかも知れず、とすれば私は意味のない話をたちあげたということか。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>芸術</dc:subject>
      <dc:subject>美術</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>マンホール</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/02/27691</link>
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      <pubDate>Sat, 02 Jul 2005 16:09:13 +0900</pubDate>
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      <description>市民公園の起伏のある芝(雑草?)の生えた場所のマンホールがちょっと気に入った。公園のデザイナー(?)はしょうがなくあそこに置いたのだろうが。&#13;&lt;br&gt;
起伏のある公園の、草地に点在させるように本当のマンホールではなく、コンクリートの丸い板を設置するという景観デザイン案(?)を考えて一人悦に入る。どの程度地面に食い込むかなどがポイント。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>物体</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>鉄</title>
      <link>https://azkn.asablo.jp/blog/2005/07/02/27685</link>
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      <pubDate>Sat, 02 Jul 2005 15:13:52 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2005-07-02T15:17:54+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2005-07-02T15:14:18+09:00</dcterms:created>
      <description>久しぶりの制作で使った素材は鉄。もらった鉄板が結構錆びてきたものを使った。ちゃんと彫刻をつくろうと構想を持って切断、溶接をそれなりにやったのは初めて。面白い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
鉄を使うのは、手に入っていたから。手に入りやすかったから。&#13;&lt;br&gt;
彫刻用の素材らしいものは、まあ、さすがにいいのだけれど、ちょっと面白くない。彫刻用の技法も、きっといいのだろうけれど、あまり学ばなかった。&#13;&lt;br&gt;
鉄を使う時には、日曜大工の、それも低レベルの技術で扱う。その程度しかできないのだ。ほぼ初めてだし、しょうがないのだ。材料はホーマックで売っていない少しだけ厚めの鋼板で、日曜大工用と言うよりはいちおう工業用というか工作用というか。現代彫刻ではベーシックな材料なのだろうが（ただし、普通はもっと耐久性のある種類の鋼板を使うだろうが）、工作用の材質、技術のつもりで使う。いや、違うかな。いちおう美術の専門教育を受けているので、マチエルや素材感、質感を気にしている。&#13;&lt;br&gt;
しかし、鉄が建築や、工業用材料であること、人類が道具として、つかいつづけた、道具によって加工しつつつかいつづけた物質であることが、まあ、いちおう重要だ。人類にとって金属と言えば、まずは鉄だ。リッチなものではない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
面白いし、アイデアも浮かぶので、どんどん鉄を使うことになりそうだ。ただしあてにはならない。なにしろ3ヶ月ぶりの製作だったのだ。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>物質</dc:subject>
      <dc:subject>彫刻</dc:subject>
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